家なき子ぴーのブログ

人前で輝くためだけの人生

成功は不安と隣り合わせ

よく、
ドン底にいくと、
上がるしかないと言うが、
私の場合、
子供のころは、ずっとドン底にいたままの人生だった。

最近は、気持ちが落ち込むことはあっても、
そのままドン底にいくことはなくなった。


今は仕事も順調、
恋愛も出来るようになった。
しかし、何故か満足は出来ない。

これから先もきっと、
満足にはならない気がする。

良いことが続いたら続いたで
更に欲が出るのかなあ。

目標がひとつ達成されれば
きっとまた次の目標が出来る。

こうやって生きている限り、
成長し続けていくんだなぁ。

でも、
良いことが続くと、
どこか不安になるのは
やはり
トラウマなのか。

成功すればするほど不安が増す。

明日はわからない。

でもそれが人生。

やるしかない!

とにかく、有頂天にはならないように冷静にいこう。

男性恐怖症からの恋愛

幼少期から父親の暴力をみて育った私は、男性恐怖症だった。

男性は、家では暴力をふるうものだと思ってしまった。

そんな私には、学生時代、
彼氏など出来なかった。

出来なかったというより
自分から避けてきた。

20歳になり、
仕事で知り合った、
某音楽家の方に、
家庭環境を話すと、驚かれたが、
彼の家に避難させて貰えることになった。


そして、男性恐怖症で誰ともお付き合いもしたことのない私が、 彼との同棲生活をおくることになった。

彼は、
18歳も歳上。とても良くしてくれた。
まるで父親のようでもあった。

そして、
数年後に結婚。

しかし、
好きという気持ちにはなれなかった。
心の空虚感は埋まることはなかった。

私は恋愛が出来ない。人と向き合えない。。。
本当の恋はできないと思った。

そして、
離婚。

家出をして彼と一緒になったので、もちろん帰る場所などなかった。

そして、一人に。

この頃から仕事の鬼になった。

全てのエネルギーを仕事に注いだ。

そして一人で生きていくと決めた。

そう決めてからは、
仕事も順調にいき、仕事をすること=生きること
になった。

その後も何度か、
告白されることも経験したが
受け入れられなかった。

離婚したことで
更に、恐怖症が悪化したと思う。

しかし、時間というものは素晴らしい!

離婚から、5年、6年と時間が経つにつれて、
恐怖が薄れた。

仕事も好調。

今では人と向き合えるようになり、

好きな人が出来た。
自分から好きと思えたのは初めて。


バツイチにして
初めての恋愛をしています(^-^)☆

生きていれば、いいことあるんだね☆

アンチ

人の前に出るようになって、
噂をされることがしばしば。

TwitterFacebookなど
多くの人が目にすることがある場所への
書き込み。
私自身もTwitterFacebookもこまめに更新していた。


個人名を使っていたこともあり、
発言には相当気を使っていた。


他人の発言、
特に、人の悪口や愚痴、
ネガティブ発言には反応はしないようにしていた。

しかし、
ある時、自分に対するアンチの記事、つぶやきなどを発見した。

何度か目にすることになり、
それ以後は、
気になってしまい、
怖いもの見たさで
毎日チェックするようになった。

しかし、
記事を見たところで噂は噂でしかない。
自分にとってのプラスは何もない、と気付き、
思いきって、
TwitterFacebookも辞めた。

そして、
自分の信じる道をひたすら進んだ。

何より自分の信念はそんな軽いものではないと、改めて確認できた。

今出来ること、目の前のことに
いつも全力でいたい。

もともとが
ゼロからのスタートなのだから
プラスしていくのみ。

よし、今日もがんばろう!!

オーディションに合格

今から12年前、
友達に誘われて、ある大きなオーディションを受けた。

書類審査、第一次、第二次、面接と、
全審査を通過し、
結果は、合格。

オーディションでは緊張は一切せず、余裕があった。そして何よりも楽しかった。

もともと、友達に誘われたから受けたオーディションを、あんなに楽しめたなんて☆!!
自分でも驚いた。

そして、
夢のような毎日が始まった。

華やかな場所
素敵な仲間たちと出会える場所
前向きでいられる場所
私が輝ける場所

私にもそんな場所があったのです。

あれから12年経った今も、
更に充実した日々をおくっている。

きっとこれから先も!!☆

人前に出ていくこと、
人前で輝くことは、
神様から与えてもらった試練なんだ。きっと☆











手放す快感

昔から欲張りな私。

同じものをいくつも集め、その数は普通ではなかった。

子供の頃は、文房具。

学生時代は、文房具だけではなく雑貨も。

買えない時には、万引きもした。
(見付かり処分も受けた。)

しかし、
夢を売る仕事に就き、
夢のような日々をおくっているうちに
自然と物への執着が少なくなった。

そして、
捨て魔になった。

今まで集めていたものが何の価値もなく思えて、
全て処分した。

過去を捨てたかったのだと思う。

成功した裏側は誰にも知られたくなかったから。

断捨離が流行る前から、
断捨離をしていた。

断捨離することで
心のバランスを保っていた気がする。

全てなかったことにして
1から新しい人生をおくる。

常に新しい自分でいる。

今を生きていく。

捨てれば捨てるほど
前向きになれたし
イメージも沸いた。

その頃から、
友達にも頼られることが増えた。

まるで
生まれ変わったかのように
別人になった。

毎日が楽しくなった。

生きている意味があった。

夢を売る仕事に就いてから12年が経った今も、生きていることが楽しい。

きっとこれから先はもっと楽しいはず。

そう思いながら、
これからも、強く生きていく。

逃げる場所も帰る家もないから
がんばれるんだと思う。

突然死んだ母

54歳という若さで
2年前この世を去った母。

仲良しだった母。

一緒に暮らしたのは、
15年。
そのうちの2年は母が病院で過ごしたので、実際には13年。

一緒に旅行に行ったのは、多分1回だけ。
確か、家族4人で熱海か伊豆へ。

家族4人での思い出は
それひとつ。

しかも、写真での思い出だけで
心には残っていない。

家族4人での思い出は何ひとつ思い出せない。

全ては父親のせい。
私は父親が大嫌い。

暴力、浮気、酒、ギャンブル。

母親は被害者だった。

それでも、いつも明るく生きた。

しかし、
父親には心がないのか

母親への暴力が絶えなかった。

日々酷くなり
母親は、骨折もした。

精神的にも追い詰められ
繰り返す
リストカット睡眠薬大量摂取。
そして
うつ病

父親はそれでも容赦なかった。

私はもう
父親とは思っていなかった。

家族なんていらない。

小学生にしてそんなことを思った。

私が小学5年生のある日、
母親はマンションの屋上から飛び降りた。

そして、
植物状態が1年程続いた。
私は母親は死んだと思った。
悲しくはなかった。
生きているほうが辛いと思ったから。

でも、母親は死ねなかった。

そして、身体障害者1級をもらい、
福祉のお世話になることに。

父親はそんな母親を捨てた。
両親の離婚。

ほっとした。

母親は福祉のお世話になる。
そのため
私と妹は大嫌いな父親の元に残らなければならなかった。

苦痛な日々。
耐えた。
ひたすら耐えた。

父親は浮気相手と別の家に住み、
私と妹はおんぼろ屋敷の掘っ立て小屋に。
愛犬は浮気相手のところに連れていかれ

私と妹は二人きり。
たまに父親が監視しに帰ってきては
説教され暴力をふるわれる。


暖房もなく
冬は寒さで身も心も凍えた。

夜も眠れない。

中学、高校時代の家庭環境、
誰よりも最悪だったと思う。

母親は障害者になり今までより楽しい人生を送った。
しかしそれから16年後、
54歳という若さで
突然死。

心肥大だった。

一度は死んだと思った母が、
16年も長く生き延びて、
私はその16年で
生まれ変わった。

この16年で私は多くのチャンスを掴んできた。

神様が与えてくれた時間。

この命の時間には意味があった。

ありがとう。

母親が死んで、
更に私はパワーアップしたと思う。

きっと今も母親が私の中にいる。

まだまだ上を目指していこう!!

命のかぎり。

ぴー

人が苦手なのに成功した

人が苦手。
人といるのは疲れる。
本音では話さない。
付き合わない。
心は見せない。
人を信用できない。

そんな私のまわりに何故か人が集まります。

人が集まることが成功と言われる環境にいる私。
おかげさまで、成功したようです。

しかし、
嬉しい反面、人が集まれば集まる程、人に疲れてしまう私。

人気になればなる程、
悩みは増す。

しかし、人前に出ると自然と笑顔になれるんです。
力を発揮できるんです。

これが天職なのか?
天から与えられた仕事だから
好きでなくても成功できているのか?

壮絶な過去だったから
これからは、良いことばかりなのか?

ふと、そんなことを考える。

成功しても、満足は出来ない。
早く次の挑戦をしたい!!


ぴー